ワインとチーズマニアの翻訳者日記

ワインとチーズに目がない英日翻訳者の記録です。チーズ、ワイン関連の書籍や関連記事の訳文を紹介します。

『ジャズ・エイジは終わらない』から何度でも読みたいフィツジェラルド

ジャズ・エイジは終わらない』

小説のタイトルのようだけれど、F・スコット・フィツジェラルド作品の解説書だ。この作家の解説書を読むのはこれが3冊目で、そのたびにもう一度彼の作品を読み直すことがこれまで何度もあって、そのたびに、自分はこの作家の作品世界がどうしようもなく好きなのだと再認識してきたけれど、この本は3冊中で最も深く丁寧に、きめ細やかに、フィツジェラルドの世界を掘り下げてくれているように思う。

 

この解説書では主に『夜はやさし』と『グレート・ギャツビー』に的をしぼって、作品の印象的な場面の解説、作品の舞台となった時代の風俗や文化、習慣などが詳しく紹介されている。小説を読んだときにいまひとつ理解できなかったり、字ずらを追うだけで終わってしまった箇所への理解が深まり、もう一度この2作品を反芻するように読んでみたくなった。とくに『夜…』は訳書しか読んでいないので、原書を入手して読みたいと思う。

手元にある作品を再読しようと思い立ち、とりあえずは短編集『若者はみな悲しい』から『お坊ちゃん(金持ちの青年)』を読みなおした。これは、禁酒法時代のニューヨークの上流階級社会に生きる資産家のお坊ちゃん、アンソンを主人公とした物語だ。正直、前に読んだときはあまり魅力を感じなかった。代々、遺産で暮らしている資産家の長男アンソンは名門大学出のハンサムで多くの友人に恵まれ、社交性に優れて仕事でも優秀な実績をあげて上司の信頼篤く、友人たちの悩みには残らず助け舟を出し…と、非の打ち所がない青年。そんな人物にどうにも共感がもてなかったのだ。

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けれど今回読み直してみると、アンソンが抱え込んでいる、人気者ゆえの言い知れぬ寂しさが痛切に感じられた。そして、ある種の理想主義者、ロマンチストであるゆえに、年月を経るにしたがって現実とのギャップに苦しむようになっていく姿に、こちらまで切なくなってきて、寄り添ってやりたくなった。そう思えたのは自分がアンソンから見て母親世代に当たる年齢になったからだろうか。そう思うと年をとるのも悪くない。

かつての学友はみな結婚してそれぞれの家庭の世界に入っていき、アンソンとは疎遠になる。結婚まで考えた2人の女性は、彼のプロポーズを待ちきれずに他の男性と結婚していく。気がつくと、なじみのバーに入っても知り合いの飲み友達の姿はなく、週末をともに過ごす相手を見つけようと、やっきになって電話帳の番号を片っ端からかけても収穫なし。

そんなもの悲しい展開だっただけに終盤、仕事でも生活でも疲弊しきった彼を見かねた上司の勧めで数カ月の休暇をとり(そんなことが可能だったとは驚くばかり!)、友人と船旅に出たアンソンが、船上で魅力的な女性と知り合って、以前の闊達さを取り戻していく様子に心から安心して、本を閉じた。暗い作品が多いフィツジェラルド作品中で、こんなふうに晴れやかな読後感をもてるのはまれだ。何不自由なさそうなお坊ちゃんにだって悩みはあり、順風満帆に見える人生には山も谷もある。作中、船旅に同行する友人はアンソンのことを、「愛してくれる人がいないと不幸になる男なのだろう」と語っている。そういう弱さをもっているからこそ、人間なのだ。

やっぱりいい。フィツジェラルドはいい。

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