ワインとチーズマニアの翻訳者日記

ワインとチーズに目がない英日翻訳者の記録です。チーズ、ワイン関連の書籍や関連記事の訳文を紹介します。

クリムトに再会

上野で開催されていたクリムト展に行けず、がっかりしていたのですが、愛知県の豊田市でも7月末からクリムト展が開催されると知り、どんなにうれしかったことか。もう内心、小躍りしながら行ってきました。

 

展示を見る前に驚いたのは豊田市美術館の規模の大きさです。人口40万人ほどの市でこれほど広大でデザインの凝った市立美術館があるとは、さすがトヨタの本拠地です。もれきくところによれば、売上げか営業利益か忘れましたが、とにかくトヨタ自動車のみの経済規模は日本の出版界全体のそれを上回るとか……。

f:id:cheesetrans:20190918133750j:plain

 

とはいえ上野に比べれば地方の都市のこと、きっとガラガラだろうと思っていたら、お盆休みのせいか、かなり混んでいました。しかもお子様連れ率高し! 子どもが大声で叫ぶ声や赤ちゃんの泣き声がそこかしこからきこえてきましたが、せっかく来たのに気にしていたらもったいないので、音声ガイドで外部の音をシャットアウトし、心を無にして絵に対峙するのだ、と気合を入れて臨みました。ふだん絵画を見るときはよけいな情報を入れずに自分だけの感覚で味わうために、音声ガイドも借りないのですが、今回はやむを得ませんでした。

 

思えば今から300万年ほど前の学生時代、鎌倉をぶらついていたらたまたま美術館を見つけ、そこで開催されていたクリムトとシーレ展を見たのがクリムト初体験です。

当時は何の予備知識もなく、感想といえば、

クリムトについては「きれいでうっとり~。でもみんな眠そうっていうかけだるそう……」

シーレに至っては「顔色悪いなあ。しかも全身アザだらけちゃうか?」

という芸術オンチっぷりをさらしていたような。それでも色彩豊かで華やかなクリムトはひとめ見て好きになりました。いっぽうシーレの絵は、見ていて重苦しい気分になったのを覚えています。

 

あれから長い年月が経ち、クリムトの代表作ぐらいはわかるようになり、今回は「接吻」と「ダナエ」をぜひこの目で見たいと期待していましたが、両方とも展示されていなかったのが少し残念です。

 

それでも「ユディト」、「ヌーダ・ヴェリタス」、「女ともだち1(姉妹たち)」、「オイゲニア・プリマフェージ」など、いつまでも見つめていたくなるような美しい作品にたくさん出会えて、幸せな時間を過ごすことができました。

生首を手に恍惚としたような表情を浮かべる「ユディト」には、毒を含んだ美しさが漂っています(この絵で顔はめパネルつくってくれたら怖いけれどおもしろそう)。

f:id:cheesetrans:20190918134926j:plain

「ヌーダ・ヴェリタス」の前ではブルーと金色、そして白い肌の対比の美しさに陶然とするいっぽう、どこを見ているのかわからない女性のまなざしに、少し狂気のようなものも感じました。

f:id:cheesetrans:20190918135410j:plain

https://note.mu/azzuro0205/n/n2e74a798c5d6からお借りしました。

 

全体に黒色をメインにして描かれた「女ともだち1」は、ロートレックの絵を思わせるような、しゃれた雰囲気。 

そして今回の目玉ともいえるのが、広々とした3つの壁面に、コの字型に描かれた「ベートーヴェン・フリーズ」の原寸大複製画。複製とはいえ、禍々しさと美しさの混在する不思議な世界をたっぷり堪能できました。

とりわけ見とれたのは、左壁面に描かれた黄金の騎士の凛々しい姿。なよっとした柳腰の女性画が多いなか、全身を黄金の鎧で覆われた騎士が、完璧なプロポーションも誇らしげに、すっくと力強く立っていたのです。

胸がすくような清々しい気分で、しばし彼を見上げていました。しかし見ているうちにふと気になったのが、騎士の眼。どう見ても「ちびまる子ちゃん」のような漫画チックな点のお目目。なぜ彼だけこうなのか。横で見ていた夫に「ねえちょっと奥さんっ!」とばかりに訴えるとやはり、「まるちゃんじゃないか……」という反応。

f:id:cheesetrans:20190918133834j:plain

この写真は購入したクリアファイルです。

この目に気づいてからは、清々しいだの壮大だのといった感想は吹っ飛んでしまい、笑えてしかたがありませんでした。

以上、まちがった絵画鑑賞の好例です。

 

騎士に笑わせてもらいながら展示の最後にたどりついた年譜から、クリムトが、第一次世界大戦が終わった1918年に他界したと知り、同じオーストリアの音楽家ヨハン・シュトラウス2世がつくった「美しく青きドナウ」を思い出しました。

1867年、オーストリアプロイセン・オーストリア戦争に敗れ、国民は失意に沈んでいたそうです。シュトラウスはそんな祖国の人々を少しでも励まそうと、この曲をつくったのだとか。そんなことも知らなかった20代の頃、中古レコード店シュトラウスを買ってきた姉といっしょに初めてこの曲を聴いたときには、曲が進むにつれてどんどん盛り上がりを増して華やかに展開していく曲調に、「シュトラウスってめちゃくちゃ明るくて能天気なヒトだったんだろうねー」と、ケタケタ笑っていた自分が情けなく恥ずかしい思いです。

何が言いたいかというと、もしクリムトが大戦後も生きていたら、いったいどんな絵を描いていたのだろう、ということです。シュトラウスのように、人々の気分を明るくさせるような絵を描いてくれていたか、それとも敗戦後の暗い世の中をモチーフにして、戦前とは打って変わった陰鬱な絵を生んでいたでしょうか。あるいは世相などまったく関係なく、ひたすら自分の描きたい世界を創造していたでしょうか。かなわぬ願いですが、第一次大戦後のクリムトの絵を見てみたかったとしみじみ思います。

 

クリムト展 ウィーンと日本1900」は10月14日まで豊田市美術館で開催されています。