ワインとチーズマニアの翻訳者日記

ワインとチーズに目がない英日翻訳者の記録です。チーズ、ワイン関連の書籍や関連記事の訳文を紹介します。

Champagne: A Global History”  『シャンパンの歴史――黄金の泡が秘めた物語』 2章 シャンパンにまつわるカルトな歴史 ①

 

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 シャンパンで祝杯をあげる伝統はフランス王室から始まった。5世紀の終わりごろ、同国を支配した君主クローヴィスがランスの大聖堂で洗礼を受けてカトリックに改宗し、このころからフランス王室ではシャンパーニュ地方のワインが好んで飲まれるようになった。やがてフランス王の戴冠式は代々ランス大聖堂で行なわれるようになり、シャンパーニュ産のワインで祝うのが通例となる。

 

 11世紀、シャンパーニュ地方のアイ出身の教皇ウルバヌス2世が登場すると、この地域でつくられるワインが他の地方にまで広く知られるようになる。16世紀初頭の国王フランソワ1世はこの地のワインを崇拝した。16世紀後半のアンリ2世も、信頼を寄せる一人の側近がランス近郊のシルリー家の女性と結婚してから、シャンパーニュのワインをひいきにするようになった。側近の妻が実家でつくられたワインを宮廷へもちこみ、それ以来シルリーのワインが人気を呼ぶようになったのだ。現在シャンパーニュ以外ではほとんどその名を知られていないシルリーだが、黎明期の由緒あるシャンパン銘柄のひとつである。

 

 18世紀になると、シャンパーニュ地方のワイン製造者はスパークリング・ワインの安定的な製造法を学び、遠くアメリカやロシアのような国々にまで販売市場を広げた。こんにちの著名なシャンパン・メゾンの多くは18世紀に生まれ、このなかにはルイナールだけでなく、モエやパイパー・エドシック、ゴッセなどの草分け的なメゾンが名をつらねる。これらのメゾンのシャンパンは現在でも屈指の知名度を誇っている。

 

 1700年代から1800年代にかけて、頻発するブドウの不作や、シャンパーニュだけでなくフランス全体の輸出相手国を巻きこむ戦争など、気候や経済上の要因がしばしばシャンパン産業の発展を妨げた。しかしいっぽう、政治的なできごとがシャンパーニュの商人を後押ししたこともある。18世紀の初めごろに新たに制定された輸送政策によって、シャンパン産業は本格的に始動した。産地フランスでのシャンパン人気は高まるいっぽうだった。他国でもそうだったが、18世紀のほとんどの間、フランス宮廷のシャンパンへの耽溺ぶりは伝説の域となっていた。1715年から1723まで摂政を務めた権力者オルレアン公フィリップ2世は、ほとんどの時間をあきらかにシャンパンに酔って過ごしていた。彼の母親が1716年にしたためた手紙がよく引用されるが、そこには息子がシャンパーニュのワインばかり飲んでいると苦言が書かれている。とはいっても、当時のワインの泡立ち具合はたいへん穏やかで、ほとんど健康に害のないものだった。