ワインとチーズマニアの翻訳者日記

ワインとチーズに目がない英日翻訳者の記録です。チーズ、ワイン関連の書籍や関連記事の訳文を紹介します。

Champagne: A Global History”  『シャンパンの歴史――黄金の泡が秘めた物語』 3章 シャンパン産業の確立と発展①

 1700年代なかばから1800年代にかけて、シャンパンは商人による小規模な商いから一大産業へと発展していった。その陰には化学や生物学の発達と機械化の進歩があっただけではない。市場調査と宣伝活動の重要性をつねに念頭においていたことも、産業としての発展を後押しした。1800年代に入る前、多くの新参者たちがこの新たな商売に賭けようと打って出た。ルイナールとゴッセといった草分け的な生産者に加えて、1743年にモエ・エ・シャンドン、1757年にアンリ・アベレ、1760年にランソンとドゥラモットが創立された。つづいてヴーヴ・クリコが1772年、ロデレールが1776年、そしてパイパー・エドシックが1785年に操業を始めた。いずれもこんにちよく知られた老舗のメゾンである。こうした生産者たちは毎年つねに同じブドウ畑のブドウを使うようになった。ブドウ栽培者の技術はもちろんのこと、畑の土壌と向きが、ブドウの安定した品質に反映することを熟知していたのだ。

 

 黎明期のシャンパンを飲むのはいったいどんな感じだったのだろう。ごくまれに難破船から見つかる場合を別とすれば、現在では安心して口にできる古いボトルは残っていない。何十年かもちこたえるシャンパンもあるにはあるが、さすがに何世紀も品質を保つようにはつくられていない。ましてやスパークリングワインなのだから、泡が残っているはずがない。そうはいうものの、数世紀前のシャンパンがどのようにしてつくられ、どんな色をしてどんな味がしていたのかはわかっている。

 

 18世紀から19世紀にかけてのワインと同様、シャンパンもかすかに甘口だった。実をいえば、少しばかり甘口のワインのほうが、食べものとの相性ははるかによくなる。ほのかに甘口のワインは“オフドライ”ワインともよばれ、いろんな料理の風味を引き立たせてくれる。初期のシャンパンはたいてい明るい赤色、あるいはサーモンピンクやピンク、バラのような色合いだった。これは、シャンパンをつくるとき黒ブドウを軽く圧搾するだけだったため、皮の色はうっすらとワインに加わる程度だったからだ。

 

 泡はどうだったかというと、さまざまで安定していなかった。フランス語でシャンパンはpétillant, demi-mousseux, mousseux,grand mousseuxとよばれる。それぞれおおまかに訳せば、微発泡、半発泡、発泡、超発泡となる。泡の量はボトルのガス圧に左右された。初期の技術ではせいぜい3気圧程度で、現在の半分程度だった。

 

 初期のシャンパン用グラスは円すい型でステム(脚)がなく、ボウル部分と台座のフット部分が、じかにつながっていた。18世紀の後半になると、飲み口が大きく、浅型でステム付きのクープグラスが登場し、おおいに人気をよんだ。このグラスはフランス宮廷のさる高貴な女性の胸をかたどったものといわれ、ポンパドール夫人からマリー・アントワネットまで、どの説を信じるかはお好みしだいだ。このクープグラスは19世紀から20世紀のほぼ全般にわたって、シャンパングラスの定番として君臨した。