ワインとチーズマニアの翻訳者日記

ワインとチーズに目がない英日翻訳者の記録です。チーズ、ワイン関連の書籍や関連記事の訳文を紹介します。

Champagne: A Global History”  『シャンパンの歴史――黄金の泡が秘めた物語』1章 シャンパンの起源 ①

1章 シャンパンの起源

 

 すでに中世のころから、シャンパーニュ地方のワインはフランスの一部地域でよく知られた存在だった。しかしこの地方のブドウ畑は国内でもかなり北にあったため、雨が降って気温が下がる秋までにブドウを熟成させるのが困難だった。できあがったワインは明るい赤色でやや酸っぱかったが、この酸味のおかげで、品質を落とさずに樽の中で長いあいだ保存することができた。

 シャンパーニュ地方を流れるマルヌ川流域のワイン生産者たちは、自分たちのワインを、運河を使ってパリだけでなくロンドン、さらにベルギーのフランドルの買い手にまで出荷し始め、すでに有名だったブルゴーニュ地方のワインに対抗しようとした。当時のワインはすべて発泡しないスティル・ワインだった(「スティル」は非発泡性のワインを示す用語)。泡は好ましくないものとされていたのだ。

 

 ではいったいどのようにして、シャンパーニュスパークリング・ワインの生産地として世界一有名になったのだろうか。実をいうと、最初にスパークリング・ワインで知られるようになった土地はシャンパーニュではない。すでに1516年、フランス南部のラングドック地方でスパークリング・ワインは生産されていた。この地方で1531年にスパークリング・ワインが初めて取引されたという記録が、リムーのふもとの村にあるベネディクト派のサン・ティレール修道院に残っている。リムーは地中海にほど近く、冷涼で山の多いワイン生産地だ。このできごとは、「シャンパンの祖」と誰もが信じているドン・ペリニヨンが生まれる百年以上も前のことだ。

 リムーのスパークリング・ワインは「ブランケット・ド・リムー」と呼ばれる。実はその製法は、17世紀後半にシャンパーニュで初めて発泡性ワインがつくられたときの製法と同じなのだ。ブドウを圧搾すると、自然発生した酵母によってブドウ果汁が発酵し始め、果汁の糖分がアルコールに変わる。冬になり気温が下がると、発酵が弱まっていく。ワイン生産者ならが誰でも知っていることだが、このときの酵母菌は単に冬眠しているだけだ。

リムーでは、3月を迎えて最初の満月のころにワインが瓶詰めされた。その後、気候が暖かくなってくると酵母菌の活動がふたたび活発になり、封をされた瓶内で発酵が始まった。発酵の過程で副産物として二酸化炭素が生まれ、泡となる。この泡が瓶内の液体に混じり、炭酸ガスの含まれたワイン、つまり「スパークリング・ワイン」が生まれた。スパークリング・ワインはすべて、もともとこのようにして誕生した、というより、偶然にできてしまったのである。

 リムーはパリから遠すぎたため、パリ市民たちの嗜好に影響を与えるところまではいかなかった。しかし1600年代すでに、炭酸入り、つまり飲み物が泡立つという現象が、様々な人々の関心を引きつけていたのは明らかだ。その一例が、イギリスの科学者クリストファー・メレットだ。彼は、1662年に王立学会で報告した論文で、発泡するリンゴサイダーとその瓶内二次発酵について述べている。ドン・ペリニヨンシャンパーニュ地方のオーヴィレール修道院シャンパンを「発明」したとして広く知られているが、メレットの論文発表はドンが修道院にやってくる6年前のことだった。